2022年2月2日水曜日

俺は殺戮マシーン

人間は。自分以外の生き物を食らったり殺したりしている。
それも、食べ過ぎではないか。と思うくらい食っている。
燃費云々の問題ではない。食いすぎだ、それは。
しかも意味もなく殺したりしているし。

俺がいま問題視しているのは、俺の部屋に出る蜘蛛や虫のことだ。
俺は虫は嫌だから、たいていは潰したりして殺してしまうが。
まあそれはどうかなということだな。
倫理に反することだとか、道徳的でないとかだ。

人間がな。人間以外を殺すのは、まあ、妥当だ。
しかし無意味に殺戮して、それでなんの問題もなく済めばいいのだが。
食べる目的で殺すのはまあ妥当な方だ。
しかも食い過ぎではない範囲での話。

俺のテリトリに入ってくる虫たち。
それは俺が呼んでいるのか。
俺の無意識がそれを連れてくるのか。
連れてきて、虫を使って、俺に何かを知らせようとしているのだろう。

たとえば、朝の蜘蛛は殺すなというが、もし殺した場合でも、
その蜘蛛が持つ意味は消えないということだ。
しかも虫という奴は何もなかったところからでも湧いてくるからな。
次元を超えて文字通り現れてくるのである。
姿現しみたいなもんだな。

だから目的を果たし終えた虫は殺しても良い。
殺したところでその意味が変わるわけではない。
だが!しかし…俺に我慢できないのは、
虫以外を使ってそれを知らせてほしい。
虫はだめなんだ…奴らとは共存できない。

俺のテリトリに入らせない方法を模索するしかないのだが、
それはまあ無理な話というか。どうしても湧いてしまうのだ。
蜘蛛はどこかからか入ってくると言うが、文字通り湧いてくるのだ。
入ってくるということではない。まあそういうのもいるのだろうが。
たいていは次元を超えてどこかからか姿表しする。
そういう感じだな、虫という生き物は。

つまり神の使いということになるのだ。
神の使いだからといって、虫として現れるとは、
おくのは少し我慢ならぬ。

神は人間を造ったとき、他のすべてのものの上に立てといった。
つまり人間がこの地球を管理するということ。
殺戮は許されるのだが、もっと心地よい方法でそれが示されてくれれば良い。