2020年2月8日土曜日

生活のこと

何を食べようか、何を着ようかと思い煩ってはならない。
知性はバランスを取れない。知性は常に一極集中なのだ。
だから知性で考えて食事をどうバランスとろうなどと、考えてはいけない。

にんじん、じゃがいも、といった話ではないのだ。
成分をどれだけ取ればよいか。成分と成分のバランスは如何なものか。
それは知性では考えられていない。
それをはかるのは、潜在意識、つまり感性なのだ。

感性で生きたほうが、知性で生きるよりずっとパーフェクトになる。

カネは使いたいだけ使えばいいし、貯めたいだけ貯めればいい。
服も買いたい物は買えばいいし、数日同じ服でも構わない。
大事なのは、知性を使わないということ。

パソコンのキータッチをするのは、知性からだろうか?
知性が、指をこう動かせ、ああ動かせといちいち指令しているのか??


誰かに会いたいときは、会うのもいいだろう。
なにかに依存したりするのもけっこう。
そしてあなたはそのことから何かを学ぶ。

この社会は、知性を使うことを強要している。
感性で動く人は危ない、ダサイ。頭が悪い、など。
それはちがうのだよ。もっとも、あなたがそれで良いなら良いのだが。



感性主体として生きることで、天からの指令をより受けやすくなる。
自覚しやすくなる、といったほうが正しいかな。
この量子マトリックス牢獄を破るためには、知性に従っていては無理なんだ。
かならず、それを覚えていてほしい。