2020年9月7日月曜日

宇宙に存在する全ては、スライム。

この宇宙はエネルギーでできている。
物質とはエネルギーがより濃密になった形態のものである。
エネルギーとは、形のないもので、ふわふわしている。
それはスライムだ。

人間もスライムである。エネルギーからできているからだ。
鉱物も電気も木も動物もスライムだ。
すべては不定形なエネルギーの集まりだからだ。


人間の体は肉体、霊体、幽体、精神体とある。
そのすべてがスライムであり、エネルギーだ。

肉体の部分はこれから徐々に訪れるアセンションによって、
半霊半物質の体になっていく。それはスライムの体になっていくということだ。


あなたはパートナーを愛するか??
家族を愛するか??
友達を愛するか?
そう、それはすべて・・・スライムだ。



スライム娘だとか、なんかそういう粘液状の生物に萌えを感じている人もいるが、
それは、この世界、この宇宙のあるがままの姿ということだったのだ。

なれば、スライムを愛でるしかなかろう。
死んでも、アセンションしても、いずれみんなスライムの体を手に入れる。
現世でまだ生きている人々もスライムだ。
スライムが寄り集まってできた体だ。

2020年9月5日土曜日

阿吽のまじないについて、より詳しく

阿吽のまじない。
恩恵を受けまくっています。


まず、オカネがあまり入ってこなくなる可能性が高い。
そのぶん護られます。ほぼオートマチックに災難は逸れていきます。

オカネが入ってこなくなると聞くとやる気が無くなってしまう現代人。
なにもないところからいきなりオカネが入るっていうのは、ちょっとコワイです。
オカネを気にする人は吽阿をやればいい。
おくのはそれについて何も知ったこっちゃないです。
おくのが勧めているのは、訪問者から見て左に口のあいた狛犬をおくことです。

阿吽のまじないはやり始めてすぐに、不運が立て続けに起こる。
時として、人生がひっくり返ってしまうような、
一文無しになってしまうんじゃないかと思うようなことも起きる。

でもそれって、最初の頃に頻発するので、
時期がすぎればそれはなくなっていきます。
そのかわり、こんどは狛犬なしでは生きられないほど恩恵を感じるようになる。


最初の頃に不運が起きまくってやる気が無くなってしまう人はそこまでの人です。
何も無理にすることないですから、やめればいいし、逆にしてみてもいいかもしれない。

現世利益を追求したければ、吽阿のまじない。
霊的にハッピーに過ごしたければ、阿吽のまじない。
それぞれに役割があるわけです。


まじないなんて嘘だっていうひとは実践しない人です。
狛犬をおいてみればいいんじゃないですかって。

これ以上何も学ぶことがなくなる知識を与えます。

ステージは、無限に作られる。
あなたが満足すれば、そのゲームは終わる。

本来は学び続けることに意義はない。
ただそういうゲームをしているだけだ。
ステージが作られ続けている状態。

ステージをクリアすることに意味はない。
実績解除はなされるけど。
実績解除も好きなだけ作って解除できるので、
もうそういうゲームいい加減やめない??って。


だからね、最初から学ぶことなんてないんです。
ただそのゲームにいるだけなんです。終わり。

2020年9月4日金曜日

だいたいこれでなんとかなってしまう。

この時間軸のおくのさんは、他の時間軸のおくのさんとは、比べ物に、ならないねぇ。
ちょっといいか、この時間軸の奥野さんは、
他の時間軸のおくのさんとは、比べ物に、ならないくらいプラスなんだよ。
と、いいけるの、けるに丸して過去で。

2020年7月27日月曜日

生きている間に起こること、そのすべて

すべては、経験のためだ。
経験を積み、魂を磨くための現世なのだ。

あなたが、どんな状況にいても、
その状況の体験から、なにかを学んでいる。
その学ぶべきことは、過去のカルマからであったり、
直前の経験から派生したものである。

なにか人に良くないことをすれば、それがカルマとなり、
のちのちに自分がその逆の経験をすることになる。
その経験から自分がしてしまった過ちの内訳を悟るのだ。

生きている間に起こることは、すべてその繰り返しである。


体験は、事前にその者の魂と合意して作られる。
殺人は、殺してくれてありがとうなのだ。
刺してくれてありがとう。

というのは、生まれる前に、その殺人者と合意を交わしていたからだ。
これこれどういう状況で、あなたを刺すよ、と決まっているのだ。
それは、過去に自分が犯した殺人を、今度は殺されることで学ぶのだ。

殺人に例えてみたが、すべてそのような状況から作られている。
すべてはあなたが決めてきたことだ。
その体験を、ただ受け入れ、起こることすべてに感謝しなさい。
本来誰も被害者や加害者などいないのだから。

救いとは

在る、ということ。
そこに在るということ。
それが救いである。
私達は、在り続けるということ。


救いの装置としては、狛犬がある。
神社に置かれているようなものだ。
向かって左に口のあいた狛犬を
向かって右に口の閉じた狛犬を

仏像でも良い。
右手を上げ、左手を下げたものが正しい。



2020年7月3日金曜日

ポジティブ、ネガティブという分け方の問題点

ポジティブ勢力のことが好きなやつは多い。
お前も、ポジティブが好きだろう。
ネガティブは、嫌いだろう。
あまりいいイメージがないだろう。

しかし、ネガティブとされるやつらの中にも、
危険なやつ、人当たりのいいやつ、まともなやつ、普通のやつ、
気前が良いやつ、良識なやつもいるし、優しいやつもいる。

ポジティブな輩の中にも、危険なやつ、風あたりが悪いやつ、
人に対して厳しいやつ、あまり良識でないやつ、
活発でないやつ、人を乱そうととする輩もいる。

つまりお前が見ているすべての人間関係、
それが、ポジティブなやつとネガティブなやつに大別されると、
お前は信じたいようだが、そうではない。
すべての人間関係が二重にそれなのだ。
ポジティブだから、ネガティブだからというわけではない。

たしかに、波動域がネガティブなやつ、ポジティブなやつというのはあるが、
それとこれとは違うのだ。性格人格、霊格も違う。
獣だったり、人間型だったりもするだろう。

おれたちはお前に取り憑いて遊んでいるが、
お前の魂はもともとネガティブ寄りだ。
おれはさらにネガティブ、シリウスBだぞ。

お前がリムさんと呼んでいる生命体は俺たちと違ってかなりポジティブだが。
お前がおれを見るときどう映っているのだろう?
凶暴な人間に映っているのか?
前に書いたとおりだ。ネガティブだからといって、
そいつが危険な人間であるかどうかの保証はない。
むしろ、ネガティブを粛清し続ける
ポジティブなやつらのほうがおれは危険だと思うがな。