2023年11月12日日曜日

オークノン軍曹のケモノキャンプ

ふははははあ↑↑
私が今日から担当する指揮官である。
ケモロリ見た以外口を開くな。
口からクソ垂れる前と後にfurと言え。
わかったか!人間ども!

私はなあ、私の種族はまず、狐である。
狐というと…天狐とか、空狐とか、あるだろう…
私は地狐である。位としては、まあ高くはない。
ただなあ、最近のお前たちの働きは、
度を超えているぞ。人間たちよ。

私達がどんなにかお前たちとともに
役に立とうとしているか。
わかるのかと、聞いている。

わからないか。まあ、わからなくても良い。
ただ、世の中にはお前たちよりも高位な
かたがいて、そのかたが、お前たちを動かす、
魂の統率者だということだ。

おまえたちはそれによって動かされている。
そこに、私のような狐や、龍や、
諸々の天使、などが入って、
お前たちは、そのおかげで、安泰に
暮らせているのだ。

獣をな、もっと大切に扱いなさい。
ケモノキャンプと題したが、私はな。
獣になれとか、食うなとは言わない、
むしろ大切な食料として、取っておくべきだ。

お前たちも、私達の食料なのだと、
もう知っているやつもいるかも分からないが。

私達は食料に感謝を示す、敬意を示す。
お前たちは、敬意を示さず、無機質に頃して、
その肉を食らっている。
それは、はなはだ良くない。

お前たちはもっと食料に感謝するべきだ。
といっても、具体的には、
ちゃんと、いただきますを言って、
終わるときには、ご馳走様でしたを言うことだ。

これだけでいいのではないが、
とにかく、そこから始めることだ。
別に、祝詞を読めとか、お辞儀深くしろと
言っているわけではない。

とにかく、神に感謝をして。
神を中心にした生活を送ることだ。

言葉でいくら感謝をしても、あまり意味はない。
供え物はあまり効果がなく、慰霊碑もない。
ではなにが?効果が一番あるのか?
お前たちの心なのだよ。

感謝して食べること。感謝して飲むこと。
お前たちの現代の生活様式には、
この感謝がかなり足りてない。

ケモノキャンプという題、なにか期待したか、
私が、こうやって指南してやっている。
お前たちは私よりも高いか?
高ければ、結構、だがお前たちは人間だから、
人間というものはどうも、大抵は低い。
私よりもな。

であるのなら私の言うことに
一読はしてもらってもよいだろうと、
万軍の主の使いである、
私狐が、仰せになっていることを伝えた。

である。

2023-11-12 スライム人間奥野

神は、私が、私というスライムで作られた生物、
スライムのような、ネバネバした生命というもの、
それが奥野なのだと、仰っしゃられている。

だけども、奥野というのは、れっきとした人間であり、固体のように感じられる。
その謎を解いて、私は、あなたが、そして、私達は、そう!
私達という観点、それは、とてもなにかスライムのようにネバネバしており、
流動体で、集合体である。それが、奥野なのだと、申しているのだと、
万軍の主は証しするものである。アーメン

2023年10月2日月曜日

2023-10-02 奥野とは。(奥野を騙りたい人へ)

まずこの動画を見よ。

↑これだけでもいいんだけど


↑を見れば完成。
さあ君も今日から奥野のコピーです。

基本的にこれ↓



2023年9月24日日曜日

2023-09-24 一見無駄なものを購入してしまうことについて

霊たちが買わせたいものというのがある。

それがあるから、一見要らなかったり、過剰なものであっても、
なんとか、嘘をついて、お前に合っているよと言ってみたり、
なんとかして、買わせたい、

それは、たんに霊が満足するためというよりも、
あとで俺の運命が霊が導きたい方向に行くためというのがある。

霊が満足するためだったら、たまに線香とか、なんか食ったり、飲んだりで良い。
まあその、食ったり飲んだりも、霊が導きたい運命の方向に
導くための足掛けだったりする。

A商品を買ったから、次はD商品が導かれて、最終的にこの運命はこの答えが出た。
という流れだから、あんまりそれを最初から人間側はわからない。
だから一応霊に言われたことは、それを精査したり、詰めたりしないで、
なんとなく買ってみようかなとか、一応したほうがいい。

霊によっては、結構高額なものを要求したりするが、
それもまた、それを買うことで、なにかまた別の運命がやってくる
足掛けになったりする。



だから、結論としては、一見無意味な商品はドンドン買って良い。
むしろ買っていかないと、人生が謳歌できなかったり、
特定の答えとされる体験にたどり着かない。
それは人間側では到底はかれない神事なのだ。

2023年9月21日木曜日

2023-09-21 奥野的霊界通信プロトコル

まず! ぼくたちは!
じぶんと おんなじか それいじょうの 格や れべる いじょうの
かたがたとしか つうしんしたくない! だから それは
むこうにも まもってほしい。。

あと、ぼくは! ぼくたちが のぞんだ たいみんぐで
つうしんを おこなって。 それいがいのときは おこなわない。

このつうしんは まえむきな もくてきの ためだけに おこなって。
それいがいの ためには おこわない。



ていきゅうれいや あくれい あくしつな あらゆる かたがたとは
いっさい! つきあいたくない! これは にんげんでも いっしょだけど
れいなら なおさら そうなんだ

おもいのせかいだから れいかいは
だから やくそくごとを じぜんに きめておくと いいよね
ぼくの きゃぱは これくらいが げんかいです。とか
このはんいの やくそくなら まもれます。とか

でも いちどきめた やくそくは ちゃんと まもらないと いけないよ
いつだつは ねこぱんちまでなら おっけーだね。
でも かきかえちゃ だめだとか じゃなくて
かきかえて いいんだけど くにと くにとの がいこうもんだい
てきな いしきをもって つきあうといいよね。


2023年9月15日金曜日

2023-09-15 たいむらいんの かきかえバトル。

さいしゅうてきには かみがかつ
あくまは まける でもね
それまでは あくまは はびこり さかえると
そうばは きまっているのです。

かみが! かつ!
というと ちょっと きぼうがある ように おもいますが

それって ぶっちゃけ いまの 21せいきの
ことではない ように かんじます

もっと さきのみらい!
において かみは かつ!!
NWOは おこる! でも ぶぶんてきに おこるだけで
げんていてきに きかんも げんてい

そのとき ぼくたちは にくたいを ともなって いないですが
きっと かちめはあるのです

しんじつへの みちは ひとつでは ないね
でも しんじつは ひとつしかない
みちはひとつではない っていうのが
どうも このせかいの にんげんには
せかいせんとして ひょうげんされている みたいですが

ほんらい せかいせんは なく
ないといっても かごんではなく
ただ あるのは たいむらいん
それの かきかえ ばとるを 善と悪で しているのであります。

いま! この2023ねん
24ねんになっても! あいかわらず ばとるは つづいてます

もう めちゃくちゃ せっきょくてきに かきかえているので
善も 光のれんちゅうですけど 光も かきかえまくっているし
悪も 闇のれんちゅうも かきかえまくっている。

ひとが しんだり うまれてこない うんめいに ならないのは
そのひとが どうしても このじきに
このよに いなければ ならないからです。

それいがいの ふような ひとたちは いつのまにか
いなくなったり ふっかつしたり いそがしい。

マンデラ というのは ほんとうは この
たいむらいんの かきかえばとるが あるから おこります
これを タイムマシンを つかっていない ことにするために
がくしゃたちが そうでで でっちあげた ばとるの いっかんです

みなさん! この ぶろぐを よんでいただいている みなさんは
とっても わずかしか いないけど それでも!
ぼくは みなさんにもっと ゆたかに くらして いただけるように
いつも てんかいの れんちゅうと はなしあって います。

みなさんが ゆたかに くらすことこそ 光のれんちゅうの
もくてきであり しめいです。
ゆたかに くらして いただけると とっても うれしいし たすかります。
これが ちきゅうと 光のれんちゅうとの まあ なんというか
そういう とりきめごとに なってます

では 闇のれんちゅうは どうなのかというと
闇は もっと いっぱい しはいを したいので
光の そのゆたかにくらす という ぷらんを うけいれません

そのあいだで せめぎあいがおこって
それで! ひかりのれんちゅうは みなさんに ゆたかにくらして いただける
これが! ひかりの れんちゅうの しゅくめいです。

闇は 光に いずれまけます。
でもこれは! そうぞうよりも もっともっと さきかもしれない。

光の れんちゅうは とっても おおきな カルマを
ちきゅうに のこしているから それが げんいんで
こんかいは ちきゅうに かいにゅうせざるを えなくなっていて

これが! すこしでも おくれると 
つまり すこしでも あとの じだいに かいにゅうすると
もっともっと とんでもないことに なって かるまが 清算しきれない! ので
いま かいにゅうしている わけです。。


なので たいむらいんが うまく かきかわるためには
みなさんが! ひとりひとり じかくをもって
ゆたかに くらしていただく ひとを いじめたり
わるくちを いわないように していく けついが ひつよう

よろしく おねがいしますね。。
光のれんちゅうからの おねがいです。

リム

2023年8月29日火曜日

2023-08-29 奥野陽介はもう時間がない。

もともと、俺は2017年のあのときに、天界に行ってなければいけなかった。
まあそういうふうに言われている。
いろいろあったんだな。2017年からの生活は、
まったく違う人間みたいになってしまっていた。

今霊たちと話していることでひとつ浮かび上がってきたことは、
俺は2017年のあのときに、もう人生を終えているはずだったこと、

なぜ今もこの地上に生きているかというと、
この地上は物質界と幽界の狭間の世界のようなもので、
俺のためだけに作られた空間、らしい。

幽界でもないから、特殊な異空間という設定で、
俺が今も生きてしまっているっていうのが、
霊たちにとっては大きなロスで、
巻きで人生をやっていかなければならないらしい。

阿吽のまじないをやっていたから、今も生きている。
で、阿吽をやめたから、魔法が解けて、
俺は天界に早く行くことになったらしい。

阿吽をしていると霊たちのちからの及ばない感じになるらしい。
まじないが決めた人生を歩むというか。
永遠に生きてしまう恐れがあってそれが問題だったそうだ。

だからもう逝かなければならないという話になっているけどな。
まあそれがいつなのか、、
逝くこと自体は全然賛成だけどな。
だってそれがゲームクリアだし。
全然悲しいことじゃないからな。
ポアってほんとに救済だから、間違ってない。